Day9.oxygen

酸素が薄くなっている気がする。同時に、変わっていない気もする。閉塞感がそう思わせているだけで、本当は、正常に酸素ボンベも稼働しているし、空気清浄も行われている。酸素は必要不可欠なものではあるが、老化の原因にもなっている。そして、感染の原因にも。

まだ陸に居た頃、つまり普通に(普通でもないけれど)暮らしていた頃、町で犬に引きずられるようにして歩く老婆をよく見かけた。早起きしたので、コーヒーとパンを買いに、近くのカフェに出かけた朝、いつも見ている町は違う景色に見えた。不気味だった廃墟は実は人が住んでいたし(それも、カラフルなタオルが干してあった)、潰れたと思っていたラーメン屋は、朝から仕込みに励む若者の姿が見えた。素敵だと気に入っていた小さな家の庭には痩せ細った犬が汚れたリードに繋がれていたし、いつも若者が酒を飲んで騒いでいる公園にはまだ幼い男の子が独りでブランコに乗っていた。

そんな朝、その老婆を見かけた。犬も老婆も足を引きずって歩いている。「同情」という感情を抱くのは失礼だと分かっていても、そう思わざるを得なかった。それは、単にその光景を見たからではなく、何ならそれ以外の「生活」を想像してしまったからだった。独りで買い物に行き、料理を作り、犬にもエサを与え、排泄をして、裸になって、風呂に入って、着替えて、歯を磨き、眠りにつく。そして、また同じ日を繰り返す。死ぬまで。当たり前の生きる行為をしている彼女を想像したときに、どうも虚しさを感じてしまった。

今もこうして彼女が生きているのは、生きていられるのは、愛を知らないからだ。もしくは、愛を失ってしまったからだ。いつからこういう世界になってしまったのだろうか。生きていることが辛そうだと、可哀そうだと、思ってしまった自分に情けなくなった。もういっそのこと彼女は死んでしまった方が、というか、何をそこまで生きる必要が、とさえ。

きっと独りで死んでいくのが怖いのだろう。それは私も同じ気持ちだ。誰かに見ていて欲しい、見つけて欲しい、という気持ちが、日々を動かす電力になっている。電池はとっくに切れているはずなのに、いつまでも手で(自分の手で)温めて使っているような。

少しだけ、息苦しい。船内の酸素供給量を確認したが、やはり正常だった。