Day6.eighteen

「おとなになる」ということをよく考える。大人になっていく過程には、いくつもの通過儀礼が存在する。何度も境界を越えて、少しずつ心身ともに成長していく。

子どもと大人が混在する空間には、確実に秩序があり、見えないながらも際立った境界線が存在する。それは場所によっても時間によっても細かく、明確に区分され、複雑に、でも、シンプルに私たちを整頓していく。無意識の間にも、日々は連続的に進行している。その連続に境界線を用いて「幼少期」だとか、「思春期」だとか、「子ども」「学生」「大人」「会社員」「老人」「死者」のように判別がつきやすいように名前を付けていく。

では、「子ども」から「大人」への境界線はいつなのだろうか。この国では20歳というのが1つの基準になっている。海を渡った遠い国では、命懸けの儀式を通過したものが大人と見なされる。もしくは、性行為をした者、保護者の手を離れて自らの力のみで生活ができるようになった者、家庭を持った者など、個人の考える「大人」は様々であろう。

私は、親が子を、つまり私を、現実世界で愛することが出来なくなったときに、子は大人になると思う。自分のことを「子ども」だとして扱う、いつまでも「子ども」という関係が切り離せない存在である親を失った時に、初めて大人へと変化する。無償の愛をくれる初めての大人を、初めて失った時、その時が何歳であろうと、大人へと変わっていく。視界に映る全て、輝きは叶わない夢へと、希望は現実へと、愛は不可能へと、急激に変わる。生気を失い、明日を失い、身体を取り巻くあらゆる水分が蒸発してくのを感じた。それでも、そんなことで生きるのを止めることはできない。誰もが、「そんなこと」を乗り越えて生きているのだから、私もそうしなくてはならない。

私は18歳で大人になり、18歳で愛を失った。