Day23.affection

この投稿は、時間を設定し、自動的にアップロードされたもので、貴方が、この文章を読んでいるということは、もう、多分、私は、生きていないのかもしれない(一度、これを言ってみたかった)。

よく遊んでいた公園や、老朽化した家が壊されて、そこには、新たな暮らしをもたらす何かが建設される。人が動物が癒される場所が造られたり、みんなが集う場所が造られたり、喜びや悲しみを共有する場所が造られたり、命が生まれたり消えたりする場所が造られたり、今まさに生活が続いていく場所が造られたり、する。壊されて、造られて、また、壊されて、造られる。そのサイクルの中で、そのサイクルの一部になりながら私たちは生きている。

昨日の私が書いた文字たちが、今日の貴方を形成していくかもしれない。この日記のようなものを書いている間、私は穏やかでいることが出来た。水面に反射する自分の顔を見つめるように、自分の心と向き合い、文字に起こしているその最中は、夢中で、貴方に何かを伝えようと、そして、自分自身にも何かを伝えようと必死だった。私は、小さな潜水艇と共に、海の底へ、自分の心の底へ、深く、深く、潜ってゆきました、沈んでゆきました。「愛する」ということを考えながら。

私は、誰かを愛したいのに、愛したい人が明確にいるのに、一度そうしてしまうと、そうでなくなった時に、途方もない虚しさに襲われてしまうと考えていた。見渡す限り海の、広い海の真ん中に、空から垂直に落とされたような、どこへ泳いでいいのかも、誰に助けを求めていいのかも分からない、暗闇がそこにはあると思っていた。でも、きっとそうではないと分かった。まだ、この期に及んで、完全なことは分かっていないが、暗闇だと認識している目の前は、目を瞑っていることに気づいていない頭があるのだと思う。つまり、目の前のことを理解しようとせずに、もっと言うなら、自分も他人も信じようとしていない心が自分の中にあるのだと思う。

私は、誰かを愛する前に、自分を愛していなかった。自分のことを好きになれなくて、愛することができなくて、人を愛することは出来ない。「自分」という器があるとしたら、まずはそこに愛が注がれて、それから溢れた愛がようやく人を愛するための愛になると、私は思っている。

自分のことすら愛していなかった私は、それが例えどういう自分であっても、この日々の中でようやく自分を好きになれた。そして、今日。正確には、これを書いた昨日、私は私を愛することで、私自身を終わらせた。この船と、優しくて温かい私自身の愛と一緒に、永久に沈んでいくことだろう。まだ怖いと思っている。「愛する」ことが失われた私の生きる時代において、私は自分を愛することがようやくできた。目を閉じて、船のエンジンを切り、目を開いていても暗い世界の中を、ゆっくり下降しているのを、身体全体で感じている。

これで、私の生存確認は終了する。生きているのか、死んでいるのか、それは何を基準に判断するのか難しい話ではあるが、この深い海の底では誰にも分からない。

愛することが自由に出来る貴方が生きている、貴方の今において、貴方は貴方を愛し、貴方は貴方が愛したい人を愛する日々が、いつまでも続くことを私は祈っている。

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