Day2.education

生まれた場所、成長した環境、与えられた運命、その全てに教育がある。そのいずれの教育においても、愛が存在している。愛のない教育は、教育とは言えない。私が暮らしていたマンションの、私の隣の部屋で、小さい女の子が扉の前に締め出されているのを何度か目にしたことがある。いわばそれも教育で、それも愛なのである。叱り、暴力を振るうのも、褒め、頭を撫でるのも、その全てに愛情が注がれていて、子どもを成長させるための教育となる。子どもの骨を、肉を作っていくのは教育だ。

生まれる場所を選ぶことのできない私たちは、自動的に受ける教育と自主的に受ける教育を、絶え間なく選択しながら成長していき、少しずつ大人になっていく。受け取る愛の形を選ぶことのできない私たちは、爪先まで満たされた愛が、真っ直ぐなものであろうと捻じ曲がっているものであろうと、それがそれこそが世界だと感じながら、少しずつ大人になっていく。

まだ浅瀬を進んでいるこの船は、朝と夜の区別ができる。正確には、太陽の光が届いている時間と、ひたすら暗い時間の2つしかないが、照明という人工的な明るさではない光は心が安らぐ。今朝(明るかったので朝だと思った)、目を覚ましたときは、自分がどこに居るのかがほんの数秒分からずに、不安な気持ちになった。旅行先のホテルや、病院のベッドで、独り起きてしまった気味の悪さにも似ていた。

生き物が成長していく過程において、愛情は欠かせないものだろう。私は沢山の愛を受けて育った。しかし、私は誰かに愛を与えたか?