Day17.death

不安は突如、心の中で大きくなって、溢れてしまう。その不安を、コントロールしきれずに、私は溺れてしまいそうだった。昨日は、そのまま不安に流されて、消えてしまおうかと思っていた。が、すぐに眠りにつき、今日になると、いくらか落ち着いた。上手に息継ぎが出来るまでには、今回の不安の波の乗り方を学んだ。

前に、「ブログが途切れたらそういうこと」だと書いたので、これを読んでいる誰かを不安にさせてしまったかもしれない。ただ、途切れるまで、そう遠くもない気がしている。私のことは私が一番理解している、つもりだ。

誰とも会話をしない、誰の顔を見ることもない、誰かと一緒に食事をすることもない、この生活の中に自ら身を投じて、私は私と向き合うしかなくなった。知らない私が何人もいて、でも一人しかいない私の存在に、苦しめられた。その苦しみの漣の位相のずれが段々と小さくなり、偶然にも昨日、大きな波になって押し寄せたのだろう。海の中に居るのに、こんなにも空を感じたのは初めてのことだった。先ほどまでの波がまるで嘘みたいな、凪いだ海と、不気味な形の月が、見えるはずもないのに、船のガラスの向こうに“あった”気がした。

人間はいつか必ず死んでしまう。どうしたって避けることのできない現実を常に背中に抱えながら、私たちは、それを忘れてしまっているかのように毎日生活を続けている。何か、大きな出来事がないと、「死んでしまう」ということに気づけないでいる。というか、「死んでしまう」ということを直視しないでいる。事実、私もそうだった。

あの時、多くの人間が死んでいった。目の前で、何人も何人も。私も同じように死んでいくのだと思ったが、生き残った。誰も愛していなかったし、愛されてもいなかったからだった。「死なずに済んだ」のか「生き残ってしまった」のか、未だに考える。「死ぬ」ということと同じくらい、「生きる」ということは、一体何なのだろうか。

今日も真っ暗な海の中を私は進む。一度進んでしまったら、もう区切りが付くまで止まることは出来ない。そして、その区切りについて、私は今一度考える必要がありそうだ。これは私の結末についての話だ。