Day15.name

人にもモノにも事象にも、全てに等しく名前がある。私は小さい頃、金魚を飼っていたが、名前を付けなかった。名前を付け忘れていた。

縁日で掬った(救った?)金魚を、嬉しそうに持ち帰り、金魚に合わせた小さな水槽も買って貰った。カルキを抜き、ちゃぷんと金魚を水槽に移すと、ぶるぶると身体を震わせながら、勢いよく泳ぎ始めた。名前を何にしよう、と考えながら、それから毎日のように水槽を眺め、ぶるぶると泳ぐ金魚の世話をしていた。

一週間もするとフンや食べかすで水が濁ってきた。あれ程可愛いと思っていた金魚が、突然気持ちの悪いモノに思えて、興味を失くしてしまった。人に用意された環境で生きることを強要された金魚は、人による助けがないと暮らしは続かない。水は緑色になり、異臭を放つようになってから、ほんの数日で金魚は死んだ。名前を付ける前に死んでしまった。

名前を付けてあげていたら、もっとお世話をしていたのだろうか。名前を付けてあげていたら、もっと可愛がっていたのだろうか。

父と母は、私にどんな想いを込めて、この名前を付けたのだろう。男とも女とも取れる名前は、私は好きだ。ただ、これまでを振り返ると、あまり名前で呼ばれた思い出がない。呼ばれない名前とは、何なのだろう。

名前があっても、それを忘れられていたり、誰からも呼んでもらえなかったりする名前は、名前を持っている意味があると言えるのか。死んでしまった(殺してしまった)金魚と、同じなのではないか。

もしこれを読んでいる貴方が、普段呼んでいない名前があったら、ちゃんと呼んであげて欲しい。「名前」は、呼ばれて初めて命が吹き込まれる。貴方の口で、声で、命を繋いでいって欲しい。

私は未だにその金魚に苦しめられている。グロテスクに浮かぶ金魚の死体を、その死体が私になっている夢を、今でもたまに見る。